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南河内万歳一座「使用人」記者会見


内藤:蒸し暑い中ありがとうございます。現在台本が3分の2くらいあがっております。
だいたいここ三年ほどを振り返りますとだいたい10日前くらいに完成しているということが多いので公演が7/23ですね13日ということは、大分速いペースで書いてるということになります。
13日にあがって例年通りということになりますので、8日の今日で3分の2ということは、かなり早いペースですね。
浅野:楽勝ですね。

作品について

内藤:今回の本は大脳生理学者のジョン・C・リリーという方の著書で「サイエンティスト」という本がありまして、この方はアメリカの学者でありまして、1970年代にですね、子供の頃から自分の中に内在する他者をリアルに感じていたという方で、つまり自分の中にはもう一人の自分が居て、折につけ人生の選択を促したり、止めたりというようなことをしたと。そういうふうな子供時代を送ってそれは大脳の中にそういう機能があるんじゃないかと、大脳生理学者となって研究した方ですね。それを少し平たくいうと、魂ってものがあるってことですね。それで魂を分離できないかってことでアイソレーションカプセルというのを作りまして、そこに自分が入って、そこは真っ暗で無音。そして生理食塩水に浮かんで体の感覚が弛緩するということですね。何も体にふれるものがないということになると精神の方だけが鮮明になって、体がなくなったような感覚になると。そうなると精神的なものが体から抜けると。で、実際その中に入りまして、そこを飛び出して街を歩いてから帰って来たりとか、どっかの店へ行って帰ってきたりしたことがあるという人なんです。しかし、そのあとさっき行った街並みや店へ行ってみても、「さっき俺来たよね?」って言っても「あんた来てない」って言われたりとか、さっき街で見た事故なんかが実際には起きてなかったとかいうことがあって、果たして実際に魂があるのかどうか確証が掴めなかったんですね。
 当時、LSDが向精神薬として治療に使われていた経緯がございまして、そのアイソレーションカプセルに入るときにLSDをのんで入ると非常に魂が抜け出しやすくなるというので、LSDをのんでおったわけです。
 ですから今から考えると、ラリパッパになっていたのかも知れないということですね。で、確証がつかめないので国からの研究資金が途切れまして、その研究はあきらめてしまって、ただ大脳生理学者ですので大脳と言語ということに着目しまして、今度はイルカの研究をするわけです。
そして、イルカは知的生物としては犬以上の知能を持ち、ある種の言語に近いものでコミュニケーションをとっているということで、その研究をしたわけですね。
 そして、ついにはこの人は実際に本当にイルカと話ができるようになるんです。
イルカとコミュニケーションがとれるようになったって、それは事実です。ですから彼の周りにイルカがあつまってイルカと話をして、いろんなコミュニケーションをイルカととるわけです。ところがその研究にお金をだしていたのは国でしたので、国がその研究に目をつけまして、会話によってイルカが犬のように博士の言うことを聞いて言いつけを守って行動をとるっていうので、国がイルカの背中に魚雷をつけまして、敵の戦艦にぶち当たると、そうすると非常に安くあがると、いうことで軍事利用を考えまして、それに失望した博士は科学者及び学会から姿を消してしまうんです。


 そういう“ジョン・C・リリー”と言う伝説的な大脳生理学者がおるわけですが、問題はその魂の部分で、魂があるかないかは僕が研究しなきゃいけないことではないので、それはよろしいんですが、確かに僕らもどこかで自分の中に内在する何かもう一人の私のようなものが居て、ある葛藤の中で助言をしてくれたりとか、ある選択を決断するときに背中を押してくれたりとか、もしくは踏みとどまらせるというような、そういう会話が胸の中で行われてる、頭の中で行われてるってことは、時として感じるわけですね。
 じゃあ、魂の声を聞きながら人生を歩いていけば私の人生は間違いない方向へ行くんだろうか、魂に逆らうと何か間違いを起こすんだろうかっていうふうな考え方にいたってしまうんですが、そうなると例えばですよ、セオウル号の船長が乗客を放って逃げたとき、彼は魂の声を聞かなかったんだろうか?って気がするんです。そうすると、彼がもし魂の声にしたがって逃げたと言うのならば、その魂はちょっといただけない魂だなというわけですね。
 で、その船長は多分言うでしょう。「俺が悪いんじゃない、魂が悪いんだ」と。
じゃあ、魂を罰するべきだということで、お前は悪くない、魂を刑務所に入れるという話になるんですね。ということは、魂があるのはまずいんです。全部本人のせいじゃないとまずいんです。そう考えると、魂もふくめて本人じゃなければまずいっていうことですね。そこのところをはっきりしたいっていうのが今回の本です。
 つまり魂の声を聞きながら生きていくっていうことは、ある意味で私達は魂の使用人であるっていうことになって、魂に使用されてることになってしまって、じゃ、私はどこに行ってしまうのか。そりゃ、都合のいいときだけ魂のせいにして、都合が悪くなると魂なんかないと、いうようなことを僕らは使っているんじゃないかなと。
ただまぁそれでもどこか、魂の存在のようなものをどこか実感しているようなところがあると、これがぼくらの面白いところだなぁと、まあその辺を遊びたいですね。

単純に言えば、セオウル号の船長が逃げたかどうかとか、もし魂の問題だとするならば、彼の魂がそうなのではなくて、おそらく誰でも本能は生き延びたい、逃げて生き延びたいと思うのが当たり前ですから、全員がそう思うんです。船長でなくても。そこで逃げないのはその本人の社会理念とか社会通念の問題でしょ。おそらく。宗教観もあるかもしれないですけど。
 それを魂の問題とすり替えて考えることが多いですけど。基本的に本人が確立した社会通念や社会理念に立脚して仕事を全うしてるかってことだとは思うんですけどね。
それを時として魂と置き換えて、あいまいな言い方をすることが僕らはあるんで、その辺のあいまいさを僕らは遊びたいというのが僕らは魂の使用人か否かという部分で遊びたいというところですね。ま、最初のモチーフとしてはそうです。

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