『みんなの歌・3』について
内藤裕敬
この作品は「みんなの歌」から始まった三部作の最後の作品となります。現代に通用する新しい劇的幻想性を捜すと共に、現代社会において「みんなの歌」は有り得るのか?というテーマを展開する一話完結型で三作目を迎えます。第3弾「みんなの歌・3」では、改めて私達のアイデンティティを遊びます。何故、今アイデンティティを問わねばならぬのかは、世界情勢の中の日本を考えれば必要な今と理解できるでしょう。その土地や国に暮らすアイデンティティは、歴史と伝統の上に立脚しますが、私達は、歴史と伝統の上に立って、そのアイデンティティを拡大・発展させようとして起こった過去の悲劇を知っています。それ以来、経済というアイデンティティを優先し、そこに暮らすアイデンティティを強く思わないように生きて来たように思えます。しかし、経済成長もピークを過ぎ、東西冷戦時代の消滅と共に、一国家としてのアイデンティティを外側から求められています。それについての論議や討論は多々行われ、多くの人々の関心事ではありますが、天下国家のあり方を語る時、そこに暮らすアイデンティティが薄弱ではロジックに根拠が無くナンセンスです。ならばもう一度アイデンティティの確認が成されなければならぬが、あいかわらずこの国では「愛国心」は危険な響きとして脳裏に残っています。ならば新しいアイデンティティを構築せねばなりませんが、経済とシステムを優先して長いこの世間は、個人主義的に発展を遂げ統一した倫理観や道徳観まで曖昧で困難です。いっそアイデンティティが無いことをアイデンティティだと言ってしまえば楽なのですが、それは単なるご都合主義というものです。成熟社会とは程遠いこの滑稽な現状は相当に笑えて、そのバカバカしさは演劇的であります。根本的には誰も言及できず表層論だけが中に浮く。この構造を、国家を形成する最小単位の集団である『家族』という小国家のメタファーで遊んでみる。この国と同じように、家族さえも血縁や歴史やルーツの上に立脚せず、家族というシステムでしかないとなったのなら、全ての人間関係の感情的なつながりや心情的関係は成立しないでしょう。家族こそ私達が抱く最大の幻想で現実ではなくなってしまいます。
 私達は、もう一度、何を愛すべきなのか?まず何から愛さねばならぬのか?まず愛することからやり直さねばならぬのではないだろうか?もしかすると、そこに「みんなの歌」が出現するかもしれないと思っています。

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