11/1に行いました記者発表の模様をご紹介します。
みんなの歌シリーズ
「みんなの歌・2」ですけども、このシリーズは、もう1本書いて、3部作にしようと思っています。今回もそうですけど、ストーリーのつながりはないです。1本1本独立した作品です。  どういうシリーズかというと、演劇の幻想文学的展開を試みたいと思っています。1960年代・70年代と演劇の実験期間がありまして、大胆な新しい試み、表現方法がいっぱい生まれてきました。1980年代以降からは、その中から割と実験性、運動性が排除された形で、そこまで演劇成果をとりこんで、楽しもうじゃないかっていう感じの10年間があったかと思うんですけど、1990年からいわゆる「静かな演劇」っていうのがでてきまして、これは、世間一般的には平田オリザさんが代表とされると思いますが、僕は、平田さんのお芝居は、劇構造がしっかりした、構造をしっかりと見せる劇だと、だから静かなんだと捉えています。1990年から今までの間は、割と、かつてあった実験性の中の大胆な試みとか極端な劇世界ではなくて舞台に展開されるものが、ふと日常にあるものとか、普段の出来事みたいなものを、舞台で展開することによって、何かを表現するという形が多くなってんじゃないかと思います。  その中で、僕らは、日常を、そのようにして生きているか、確かに、日常的には、大事件もそうそう出くわさないですし、極端なことにそうそう出会わないと言われれば出会わないのですけれど、だから、2時間の芝居の中で、色んな事件が起こって、色んなことが起こって展開していくのは、変だ。リアリティがないって言われれば、確かにそうかもしれないんだけども(笑)、僕の気持ちの中では、色んなことが起きてまして、電車に乗ってるだけでも、僕は、前に、ミニスカートで必死にお化粧直している女の人を見ると、その人の生活や、人生まで考えてしまう(笑)。ものすごく、そこには退屈などしない、大胆な時間が流れているわけですね。ほんで、僕らは、現実のみに生きているわけでなくて、やはり、現実に生きながら、その先にいろんな幻想を見ているから、その幻想を楽しめるから、現実を生きれるんだと思うんですよね。電車に10分乗っていても、そこで、僕の中に生まれる幻想っていうのは、無数にあるわけで、そういう楽しさがないと、僕らは生きていけないと思うんだよね。そして、僕には、現実と幻想を区別するつもりはなくて、幻想も現実なんだと捉えたいんだ。なので、舞台の上で、日常的にありがちなことが綴られていくだけでは不満なんだね。だって、僕の日常は、もっとにぎやかでおもしろいですから(笑)。じゃ、なぜ、そういう幻想的な舞台が減ってしまったのか、っていうと、1970年代までにできあがってきた幻想的な演劇というのがアナクロになってきているんだと思うんですよね。舞台上の幻想性も、アナクロになっちゃって、新しい舞台上の具現化を、誰もやってねえからじゃないかと。幻想的なファンタジーなことをどっかの劇団がやると、ちょっと古くさい幻想性を展開されるか、もしくは、夢物語の絵空事みたいなことをやられちゃうかしかなくなっちゃう。21世紀の劇的幻想性が、まだ、誰もチャレンジしてないんじゃないかと。もしくは、具現化できてないんじゃないかと。単純に、日常的に起こりうることが、淡々と綴られていくような演劇っていうのは、「これは、本当ですよ。これは事実ですよ。これは実際に起きてることですよ」という形で、綴っているわけなんだよね。僕は、こういう風に「これは本当だ、本当ですよ」と言われると、「嘘じゃねえの」って気がしてくるのね。逆に「これは嘘だよ。うそっぱちですよ。こんなのでたらめ。こんなのはおふざけ」って徹底的にやられると、「嘘からでた誠がでてくるんじゃねえかな」と「嘘だ嘘だ」と言われると、「本当に嘘か」と思う瞬間に出会えるんじゃ思うタイプの人間なんで、その「嘘から出た誠」の方をやりたいんです。そのために、21世紀の幻想文学的なものを演劇に持ち込む、幻想的なお芝居、お話を、しっかり作りたいということが、この「みんなの歌」シリーズのコンセプトであります。